思い出ばなし


キンモクとわたし。
昨年末、しかもフェス開催中の朝。起床してシャワールームから「あー、目ぇ覚めた〜♪」と出て来たら、一緒に宿泊していた友人より「キンモク…活動休止だって…」と知らされる。青天の霹靂。


私とキンモクの出会いは、2001年12月か2002年01月。ラジオから聴こえて来た「二人のアカボシ」(発売は2002年1月だった気がする)です。それから「七色の風」が出た頃に無料ライヴツアーに行って、初めて彼らを見た。今から数えると6年前当時で彼らの演奏はかなりのレベルだった。ボーカルはキーボード。ツインギター+ベース+ドラム。唄も上手いし人柄もあったかい感じで、一気に好きになった。本当にツインギターが好きなんです。勢いでFCに入ると、予想外に早い会員番号でびっくりしたっけな(笑)その後は学園祭やラジオへのゲスト出演も見に行ったりした。プロモーション時は良・イトシュン組が仙台担当だったね。祝日のスペシャル時にゲストで来た時は5人全員スーツで来た。そして当時は遠征という意識が無かったけど、実は結構追っかけてました。バンドの地元(神奈川県相模原市)でライヴを見たのも実はキンモクが初めてです(ユースは別とする)。「風っ子祭り」懐かしい!あとは年末のFCイベントに東京に行った。しかも前日にもキンモクが出るイベントがあったりして、それも行った。2連チャンライヴってのもキンモクが初めて。いろんな影響を受けております。ライヴではいつも白井・良間で見てた。あとはいつもツアー回る時「何故かいつも仙台をツアーのピークに持ってこようって思う」って言ってた。これは凄く嬉しかった。CDは毎回「○○価格」っていうのがあって、お年玉価格とか旋風価格、とかCDの背にちゃんと印刷してあるんです。これが毎回楽しみだった。ライヴはね今ほどじゃないけど、足しげく通ってました。FC優先でチケ取ってたし。でも野音ライヴからオイラの中で気持ちが離れてしまった。あの不完全燃焼ライヴ。忘れられない。それからのキンモクの曲はどうも受け付けなくなってしまった。アルバムも、最初の2枚までは遊び心があって、いろんな曲があって楽しめたものの、それ以降はイトシュンワールド。悪くはないけど“遊び”の部分がオイラは好きだったので、何だか離れちゃったんだ。と同時に、今のようにロック方向に傾倒していったんですね、その頃から。ライヴにも行かなくなってしまったんだ。前は平日でも無理矢理休み取ってまで行ってたのにね。でも好きなバンドで好きな人達であることには変わりない。オイラは彼らから沢山のものを受け取った。感謝です。「しばらくの間休止」という言葉を間に受けて、また5人の演奏する姿を見れることをオイラは待ってます。
オイラはやはり「同じ空の下で」がPVも含めて好き。寝っ転がりたい。


他にも
・ラジオでキンモクフリスビー(緑)が当たった
・会報で良くんの色紙が当たった
 (会報が手元に残ってる方、どっかの号にオイラの名前が載ってます)
・音人でムラサキ手ぬぐいが当たった
・カラオケの歌本でキンモクファイルが当たった
・News Makerでハリのポラが当たった
・白井ちゃんに頭わしゃわしゃされた
 (若かった自分はこれで喜んでしまった)
キンモクのプレゼント運がとても強かったようです(後日写メ載せよう)


本当にあの頃はキンモクでいっぱいでした。キンモクが中心だったなー。
過去形なのが悲しいけど、実際今、キンモク中心じゃないから。私の中では。


他にもここには恥ずかしくて書けないようなこととかやってましたなー(爆)同期といろいろ…。ええ。夢中でしたから。


キンモクだけは、「活動休止」とか無いと思ってた。何て言うか…ファンという立場で言ってるのではなく。彼らは、いつまでも、どんなに細々した活動になろうと、5人でやってそうな気がしたから。でも今回の件でやっぱりどのバンドも「そういうこと」と隣り合わせなんだなぁ…って思った。だからベストアルバムとか出すと、一気に不安が押し寄せる。消し去りたい。


週末の仙台ライヴ、チケが余ってたら見に行こうかなと考えています。